スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

爆薬の歴史「硝石」

私の授業で教えている「化学勉強法(ちょっとしたコツ)」を限定公開します!!
次の方におすすめです。

・学校の化学の授業では受験で役に立たない。
・すでに高校を卒業していて、化学を自分で1から勉強するしかない。
・化学を教える立場になったが、教えるコツがまだ分からない。
続きはブロマガを購入して楽しもう!
このコンテンツはブロマガ(有料)です。
購入すると続きをお楽しみいただけます。
ブロマガって何?

物質名にはルールがある

 

(引用元:ヘンリー・キャヴェンディッシュ - Wikipedia

 


 1783年に、キャベンディッシュはまだ彼の発見した可燃性気体の研究(酸がある種の金属と反応したときに生じる気体)を続けていました。彼はその気体のいくらかを燃焼させてその結果を研究しました。彼は燃焼によって生じた蒸気が凝縮して液体となったが、それが水に他ならないことを見いだしました。

 


 これは決定的に重要な実験でした。第一に、この実験はギリシアの元素理論に対するもう一つの大きな打撃でした。というのも、これによって水は元素ではなく、2つの気体の結合によって生じた1つの化合物であることが示されました。

 


 ラボアジエは実験を聞いて、キャベンディッシュの気体を水素(「水をつくるもの」)と呼び、水素は酸素と結合することによって燃焼するのであるから、水は水素と酸素の結合からなることを指摘しました。彼はまた食物や生体組織を構成している物質は、結合した炭酸と水素の両方を含んでおり、したがって吸い込まれた空気中の酸素は、炭素から二酸化炭素を生成するためだけではなく、水槽から水を生成するためにも消費されると考えました。この説明によって、彼の呼吸に関する初期の実験で説明できなかった部分の酸素の運命が明らかにされました。

 


 ラボアジエの新しい理論は化学を完全に合理化する内容を含んでいました。すべての「神秘的」原理は消滅してしまいました。これから後では、質量その他が測定できるような物質だけが、化学者の興味の対象となりました。

 


 この基礎づくりを達成した後、ラボアジエは上部構造の建設に取り掛かった。1,780年代には、他の3人のフランスの化学者モルヴォー(1,737から1,816)、ベルトレ(1,748から1822)およびフールクロア(1,755から1,809 )との共同研究によって、彼は化学における理論的命名法を研究し、その成果を1787年に出版しました。

 


 化学はもはや、それぞれの著者が自分勝手な体系を用いて、他の人の全てを悩ませた錬金術時代の名前のごちゃまぜではなくなりました。すべての化学者が用いなければならない承認された体系があるべきでした。それは論理的原理に基づいた体系であるから、化合物の名前を聞けば、それを作っている元素を知り得るようなものでなければなりませんでした。例えば、酸化カルシウムはカルシウムと酸素から、塩化ナトリウムはナトリウムと塩素から、硫化水素は水素と硫黄から成り立っていました。

 

(次回に続きます)






【参考文献】


どうして酸素、窒素とよぶのか?

 

アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipediaより)

 

 空気は金属と化合して金属灰を、木と化合して気体を生じるが、空気の全量がこのように化合するのではありませんでした。化合するのは約1/5でした。どうしてこのようになったのでしょうか?

 「脱フロギストン空気」の、発見者プリーストリーは1774年パリを訪れ、自分の発見をラボアジエに説明しました。彼は空気は単一の物質ではなく、2つの気体の1対4の混合物であると述べました。空気の1/5はプリーストリーの「脱フロギストン空気」でした。燃焼したり錆びたりする物質と化合し、鉱石から木炭に移動し、そして生命に不可欠なものは空気のこの部分でした。

 この気体に酸素の名前を与えたのはラボアジエであった。ラボアジエは酸素はすべての酸に必要な要素であると考えていたので、この名前を「酸をつくる者」という意味のギリシア語からとりました(後にわかったように、彼はこの点では誤っていました。)。燃焼や生命を支えることできない残りの4/5の空気(ラザフォードの「フロギストン空気化」)は全く別の気体でした。ラボアジエはこれを「アゾート」(「生命がない」という意味のギリシア語) と呼んだが、後に「ナイトロジェン」(日本語では「窒息」にちなんで「窒素」)いう言葉が用いられるようになりました。この言葉の意味は「硝石をつくる」ですが、それはありふれた鉱物である硝石が、窒素を一成分として含んでいることがわかったからでした。

 われわれ人間が酸素に富み、二酸化炭素に乏しい空気を吸い込み、酸素に乏しく、二酸化炭素に富む空気を吐き出すので、ラボアジエは、生命は燃焼に類似の過程で支えられていると確信した。彼と共同研究者ラプラス(1749~1827)ーー後に有名な天文学者になったーーは動物が取り込む酸素と排出する二酸化炭素を測定しようと試みました。その結果は、吸い込まれた酸素の一部が、二酸化炭素として吐き出されてはいないというおかしなものでした。





【参考文献】

「質量保存の法則」はどうやって分かったのか?

  

 

 アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipediaより)

  

 ラボアジエは燃焼に興味を持った。その理由は、第一に燃焼は18世紀における需要な化学上の問題であったこと、第二に彼は1,760年代に街路照明の改良法について書いた論文によって初期の成功を収めていたということでした。1772年に、彼が他の科学者と共同出資してダイヤモンドを買い、密封容器中でそれが消失するまで加熱したのが、その研究の手始めでした。二酸化炭素が生じたが、その事実からダイヤモンドは炭素の一形態であり、それゆえにダイヤモンドは何にもまして石炭と密接な関係を持つことが初めてはっきりと証明されました。


 彼はさらに密封容器中一定量の空気とともにスズ、鉛などを加熱した。この2つの金属は共にある一定量まで表面に「金属灰」の層を作りましたが、それ以上は錆びませんでした。フロギストン説を支持する人は、空気は、含むことができるだけの量のフロギストンを金属から吸収したのだと主張したと思われますが、すでによく知られていたように、金属灰は金属自身よりも重かったのです。しかし、ラボアジエが加熱後全容器(金属、金属灰、空気などすべて)の質量を測ったところ、その質量は加熱前と等しいものでした。
このことから、金属が部分的に金属灰になる際に質量が増したとすれば、容器の中の何かが等しい質量を失ったはずであることがわかりました。この何か他のものは空気であるように考えられました。もしそうであるならば、容器の中はいくらか真空になったはずです。確かにラボアジエが容器を開くと、空気が勢いよく入っていきました。その後では、容器と内容物の質量は増していることがわかりました。


 このようにしてラボアジエは金属から金属灰への変化は、神秘的なフロギストンが失われた結果ではなく、極めて物質的なもの、すなわち空気の一部が加えられた結果であることを示しました。


 こうして彼は鉱石から金属の生成についての新しい説明を行うことに成功しました。鉱石は、金属と気体の結合したものであった。鉱石を木炭と共にすると、木炭は鉱石から気体を奪って二酸化炭素を生じ、後には金属が残ります。


 つまりシュタールは、製錬の過程を木炭から金属へフロギストンが移動することだと述べたのに対して、ラボアジエはそれを、気体が鉱石から木炭に移動する過程を含むものだと述べたのです。しかしこの2つの説明は互いに逆の言葉で言い換えた、同じ内容のものではないでしょうか?ラボアジエの説明がシュタールの説明に勝るという理由があったでしょうか? 確かにその理由がありました。ラボアジエの気体移動の理論によって、燃焼の際に見られる質量変化を説明することができたからです。
金属灰は、加えられた空気の部分の質量だけ、もとの金属よりも重いものでした。木も空気を取り込んで燃えますが、新しく生じる物質(二酸化炭素)自身も気体であって空気中に消えてしまうので、質量を増ようには見えませんでした。そして残った灰は元の木よりは軽かったのです。もし、密封容器の中で木を燃やすならば、燃焼過程中に生じた気体は反応系の中に留まり、したがって灰、生じた蒸気、および空気中に残っている物質の質量の和は、木と空気の元の質量にちがいない―――。事実、ラボアジエはいろいろ実験を行っている間に、もし化学反応に関わるすべての物質とすべての生成物を考慮するならば、質量の変化は決して起こらないと考えるようになりました。


 そこでラボアジエは、質量は決してつくり出されたり、失われたりすることはなく、ただある物質から他の物質に移動するだけであると主張しました。この概念が19世紀化学の基礎になった質量保存の法則です。測定によって得られたラボアジエの業績は、ここに述べたように非常に偉大であったので、彼の時代以降化学者たちは測定の原理を心から受け入れるようになりました。





【参考文献】



測定の勝利

  

 

 アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipediaより)

  

 18世紀も終わりに近づくと、気体に関してなされた多くの重要な発見は何らかの統一的理論にまとめ上げられる必要があった。この仕事をなすべき人も登場した。その人こそフランスの化学者ラボアジエ(1,743から94)であった。


 化学の研究を始めたばかりの時からラボアジエは正確な測定の重要性を認めていた。そんなわけで1764年になされた彼の最初の重要な仕事は、石膏(せっこう)の組成に関する研究であった。彼はこれを加熱して含まれている水を追い出し、失われた水の量を測定した。彼はブラックやキャベンディッシュのように化学変化に測定を応用する人たちの仲間に加わった。しかしラボアジエは測定を、より体系的に行い、それをもはや役に立たない。科学の進歩を抑えないまでも妨害している古い理論を打ち破るために用いた。


 たとえば、1770年においてすら、古代ギリシアの間その概念にしがみつき、長時間加熱することによって水は土に変わるのであるから編成は可能であると信じている人もいた。水を何日もガラス容器中で加熱すると固体の沈殿が生じるので、この想定は(初めはラボアジエにとっても)もっともであるように見えた。


 ラボアジエはこのいわゆる編成を視覚に頼る以上の方法で試験(実験)することにした。水蒸気が凝縮してフラスコに戻るので、実験中に物質が失われることのないような装置の中では水を101日間煮沸した。もちろん彼は質量の測定を忘れなかった。彼は長期間の煮沸の前後の水と容器の重さを測った。


 確かに沈澱物が生じたが、煮沸の前後で水の質量には変化がなかった。したがって、その沈殿物は水から生じたはずはなかった。ところがその沈殿物を削り落とした後のフラスコ自体は、ちょうどその沈殿物の質量に等しいだけ目方が軽くなっていることがわかった。別の言葉で言えば、その沈殿物は、熱水にゆっくりと浸されて、個体の小片となって沈殿したガラスの成分であって、土になった水ではなかった。これは、測定によって事実の合理的な証明が得られるのに対して、目の証言だけでは誤った結論が導かれると言うはっきりした例であった




【参考文献】



来てくれた人

プロフィール

大村升次郎

Author:大村升次郎
私立学校の教師。化学勉強法【フレームワーク式】を運営。『効果的な化学の学習を日本全国に広げる』が夢(^^)/モル濃度計算の問題集を近日Amazonで販売します(^O^)
>>会員登録  >>サイト >>プロフィール詳細 >>秘密の掲示板

最新記事

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。